いいか>>1よ。
UNIXでは、親プロセスが死ぬと子プロセスも死ぬんだ。Win32のように親プロセスが死んだりドライバを捕まえたまま永眠したりして、更に多くの不幸を産み出すこともないか考えてもみろ。
お前の子供はどうなる？　いつか生まれてくるお前の子供は？

社会とは人と人のpipe(2)だ
お前のstdoutが、お前の友だちや部下や子供のstdinにpipeしてやらなければ、大きな仕事をこなすことはできない。不幸にも途中でパイプが壊れてしまうようなことがあったらプロセスが一気に死んでしまう。

お前はいままでいったい何をしてきた？
お前のFDをselect(2)してみろ、まだ何のデータも得てないんじゃないのか？　まだ多くのデータをカーネルのバッファに残したままで
早々と諦めてタイムアウトしようとしている。

お前は単に成功を焦りすぎているんだ。FD_ZEROしたばかりだと言うのに。
DMAと言えど、実際に世の中に氾濫した人やデータがシステムバスを空けるまでCPUが待たねばならないことを考慮すると、お前が考えているほど「世の中はテンポよくいかない」というただそれだけのことだ。
じっくりとpollすればきっと報われる日がくる。UNIXシステムはそれを保証してくれる。

お前のFDは、何にでもなる。ソケットにでもシリアルポートにでもなる。
その可能性を素敵なことだと信じじっくりと方法を考えれば、諦めてshutdown -h 10をコマンドラインに打ち込み、目を瞑って10数えるのは軽率だと気付く筈だ。
お前ならな。
目を開けた時、次々と消えてゆくroot権限のプロセスを見て後悔しても遅いぞ。

憂鬱な時があるのは解る。別れた彼女に電話をかけても返事が返ってこない時や、EmacsがC-gを連打しても制御が戻ってこない時などだ。
しかし、そういう時は煙草を吸って心を落ち着けろ。コーヒーを飲んで余裕を作れ。
shutdown -h を実行せずとも、UNIXはトラブルを復旧可能なのだから。

生きてさえいれば、いつかcreat(2)にeの文字を付けたす日が来るかも知れない。
